王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

2011.3.11のこと

せっかく福島県に住んでるので、あの日の話でもしようか。

その当時、私は育休を取っていた。
離乳食が始まる前の乳児と、2人でアパートにいた。夫は仕事に行っていた。
乳児がお昼寝したので、私は、買ってきた豚肉スライスを小分け冷凍しようと思って、まな板にラップを敷き、豚肉を並べて目分量で約100gずつ包む作業をしていた。

突然、地震が起こった。
「おおー地震だー」と呑気に構えて豚肉を並べていたら、揺れがどんどんひどくなるではないか。
慌てて、娘が寝てるベビーベッドの所に行った。ガンガン揺れてるのに、奴め、呑気に寝てやがる。さすがに途中で目を覚ましてキョトンとしてたけども。

私のところは震度6強だった。この上は震度7しかないという、それはもう凄まじい揺れだった。
ベビーベッドにしがみついて娘の名前を叫びながら、いつアパートが倒壊するか、気が気じゃなかった。もう構造がぐわんぐわん歪んでるのがわかったもん。凄いぞ日本の建築。あんなに揺れても倒壊しないんだから。凄い。

揺れが収まってから、部屋の状態を見に行ったら、ありとあらゆる物が落ちて散乱しており、足の踏み場もない状態になってた。
蓄熱式暖房機が、それを固定してた壁のボルトをぶっこ抜いて倒れてた。さすがに蓄暖は一人では起こせないし(中にレンガがぎっしり詰まっていてすごく重い、後に大の男が二人がかりで起こしてた)、通電しておけないので、ブレーカーを落とした。

とりあえずリビングは元に戻そうと思って、娘をおんぶしながら夕方までかかって片付けた。
帰ってきた夫に「大したことなかったんじゃん」って言われたけど、片付けたからだよ。隣の部屋の状態を見たら絶句してた。
夫はその日車で外回りをしていて、室内で揺れを体験しなかったので、当日は実感がわかなかったらしい。

停電は当日ぐらいだったと思うけど、水道がなかなか復旧しなくて苦労した。町が震度6強の揺れに見舞われ、水道も道路もズタボロだったのだ。
子どもの体や服を洗うのもままならない状態だった。子どもの体は、清浄綿で拭いてた。
唯一水道が出る地域の公民館に、毎日水をもらいに行ってた。
 
そんな生活が1週間以上は続いたかなー。
私は娘を連れて北海道の実家に避難することに決めた。
奇跡的に、飛行機のチケットが取れたのだ。福島空港の滑走路が無事だったのも奇跡的かもしれない。
何よりの奇跡は、私が育休中だったことかも。
 
会社は酷いことになっていたらしい。
古い工場だったので、あちこち壊れたようだ。
 
続きは来年!
※やるかどうかはわかりません。
※やるとしたら来年だけでは終わらん。
放射能や放射"脳"の話とか、色々書きたいかも。

あ、そうそう。豚肉を並べてたまな板が行方不明になりましてね。
なんであんな大きいものが行方不明になるんだー!どこにあるんだー!と思って探したけど見つからない。
翌日になって、流しの下の引き出しから出てきました。

地震→凄い揺れ→流しの下の引き出しが開く→まな板がふっ飛ぶ→引き出しに落ちる→引き出しが閉まる→まな板は?
ということです。
 
私にとって、震災といえば豚肉まな板行方不明事件が真っ先に思い出されるんです。
家族の誰も亡くなっていないし、それほど苦労もしなかったから、こんな呑気な思い出が真っ先に出てくるんですね。
もともと呑気な性格ですしね。
 
復興に関しては、積極的に県産食材を食べて応援してます。検査済みだし、おいしいよ。