王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

花火を嗜む

そこそこ大規模な花火大会に出かけてきた。
ヒュ~ヒュ~ヒュ~~……

ボバババババババ!!
 
……いい。
 
音楽や演劇は瞬間芸術と言われている。絵画などと違って、観賞したその瞬間に消えて無くなってしまうからだ。
それなら花火もそうだろう。

花火大会のDVDを観たからといって、花火の臨場感は本物を見た人にしかわからない。音楽のライヴもそうだし、舞台の演劇もそうだ。
花火、特に尺玉といわれる大きな花火は、爆発するドーンという音がお腹に、全身に響く。仮設トイレの壁にだってビリビリ響く。大きさも凄い。下手すると視界に収まらない。近くで見た人にしかその大きさはわからない。
 
瞬間芸術である音楽と花火を組み合わせた演出もある。音楽に合わせて花火を打ち上げるのだ。
正直、今まで音楽と組み合わせる意味がわからなかった。音楽いらないと思ってた。しかし、今日見た中に、音楽と花火がばっちりマッチした演出が2演目あった。どちらも女流花火師さんの作品だそうだ。
音楽が花火を、花火が音楽を、お互いに高めあっていて、初めてその演出に意義を感じた。
他に何か似てるものがあるなーと考えながら観てたら、答えはすぐに見つかった。フィギュアスケートやアーティスティックスイミング(元シンクロナイズドスイミング)だ。これらも音楽と共にある瞬間芸術だ。
 
人生で何回も花火大会に出かけていると、自分なりの花火の楽しみ方も芽生えてくる。

今回は有料観覧席で観たので、打ち上げ場所近くのいい場所で楽しむことができた。
それでも打ち上げ場所から数百メートルは離れているわけで、光より音が遅れて聞こえる。

その、音がこちらに届くまでの刹那に無音で広がる花火が、まさに夜空に広がる「花」って感じで、陳腐な言い方で申し訳ないけど「花」そのものにしか見えなくて、それが好きなのだ。

まあ、「花火」っていうぐらいだから、花みたいに華やかなのは当然だ。しかし、本物の花は、咲くときにあんな派手な音はしない。
音がこちらに届いた瞬間に、「花」は「花」であることを止め、「花火」に変わってしまう。
音が届くまでの間に咲き誇る「花」は、瞬間芸術の中でも特に瞬間的な、近くで観ている人だけの楽しみである。
 
しかし、私にとって最大の魅力はまだ他にある。

花火は瞬間芸術であり、観たその瞬間に消えてしまう。その華々しさと裏腹の儚さや無常観、あと、美しく散る姿が、日本人の心に共鳴するのではないかと思う。

それもそうなんだけど、私が感じるのは、一発何万円~何十万円もする物体が次々に爆発して無くなっていくことに対する、喪失感にも似た暗い爽快感だ。
破滅願望や破壊衝動にも似ているかもしれない。「ここにある500万円の壷、バットで思いっきり叩き割ってみたい……」って興奮するやつ。しません?

花火はそれを実現している。
 
皆さんも、機会があったら花火大会行きましょう。なるべく大規模なやつ。
音と光と芸術と破壊、全部楽しめること請け合いです。