王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

読書感想文の季節ですよ part 2 にかこつけた自分語りの回

まずこちらの記事を読んで頂きたい。

omocoro.jpこれは息抜き面白サイトのおふざけ記事なので、真面目に受け取らないで頂きたい。殊更シニックにアイロニカルに、わざと暴論を書いているのだろうから。
でも、50%以上は正しいことが書かれていると思う(個人の感想です)。
何より、私が常々ぼんやり思っていたことを明確に文章化してもらったみたいで、初めて読んだときは痛快であった。
 
しかし私は、子どもの頃の読書感想文が苦ではなかった。

当時の私は、普段あまり何も感じずにぼんやり生きていた。そのくせインプットの能力は高かったと思う。
読書感想文を書けと言われたら、教科書に載っていた例文を読んで、「こういうふうに書けばいいんだな」と、先生が好むような文章を進んで書いていた。
あらすじばかり書いてはいけないと言われたら軽くあらすじを書いた後に感想めいたものを入れてみたり、「感動しました」と書くのは良くないと言われたらなんか別の言い方を考えてみたり。
そこには私の自我は無かった。特に書きたいこともなければ嫌という気持ちもないので、「先生に褒められたら嬉しいな」という行動原理で感想文を書いた。普段の勉強もそうだった。

自我が無いし、更に人の気持ちもわからないので、本を読んで「人はこういうことをされたらこう思うのだな」というようなことを学習していた。思うような反応が返ってこないと、「本に書いてたのと違うな」と思っていた。本には正解が書かれていると思っていた。
母に対して、お母さんを讃える詩を朗読したとき、「そういうのはいいよ」って言われたんだけど、おかしいなと思った。本に出てくる母親は、そういうのを必ず喜ぶから。
今私が娘にそんなことされたら、「そういうのはいいよ」って言うと思います。私にもリアルな人の気持ちが少しわかるようになってきた。
 
私に自我が芽生えたのは、高校生のときからかもしれない。親元を離れて色々自由になれたのが、ちょうどこの時期だった。
最近になってやっと自覚したんだけど、幼少期の私は、主に父によってだいぶ抑圧されていたんだと思う。
なんか、損な前半生だったかもしれない。毒親っていうのとは少し違うかもしれないけど、うーん。
 
感想文の話から逸れて自分語りをしてしまった。
私は自我の芽生えが遅かったため、芽生えた自我がここぞとばかりにずっと大暴走をしている状態なのである。
私がこういう所で文章を書いてるのは、主に自分語り・自己顕示・承認欲求の満足のためである。「私が私が」をやりたいのである。

冒頭で紹介した記事に、「先生に一泡吹かせたい」「そのために変な本を選ぶ」といって、実際に選んだらイタい本が4つ紹介されてたんだけど、私がそのうち2つを実際に所持してるの凄くないですか?「ドグラ・マグラ」と「我が闘争」。
銀河英雄伝説のことは知らないけど、「ラノベ的ポジションであった全10巻くらいある本」で感想文を書いたことはある。
やっぱり私はオタク体質なんだな。わかってたし、それを悪いこととも思ってないけどね。
 
それでは皆さん、また次回。