王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

なんでもないようなことが しあわせだとおもう

タイトル、ふわふわ系でも自己啓発系でもTHE 虎舞竜でもありません。

 

娘とその友達Tちゃんの話。

Tちゃんの髪型は前髪を分けておでこを出したセミロングだったんだけど、ある日、髪を切って、前髪を作ったショートボブにしたらしい。
それが「死ぬほど似合ってなかった」らしい。娘談・原文ママ

娘+仲良しグループの友達(ちなみに優しい系男子×2)は、Tちゃんの新しい髪型にどうしても違和感を隠すことができず、「似合わない」とか言って少々イジったらしい。
その話を聞いた私が「Tちゃん傷ついてなかった?大丈夫なの?」と娘に聞いたところ、Tちゃん本人もあっけらかんとして「やっぱ似合ってないよね」と言って、すぐにヘアピンを取り出して前髪を分けたらしい。
それなら良かった。

 

話はこれだけだ。
本当にこれだけなのだ。

だけど私は、この話を、なんかいいなと思ったのだ。

普通の小学生の日常だ。それ以上でもそれ以下でもない。そこに「いい」が詰まっている。

小学生の学校生活、「普通」以上に尊いことってあります?
こういう「普通」の日常の1ページがいくつも積み重なって、ひとつひとつのエピソードは思い出せないとしても、「なんかあの頃は楽しかったなあという思い出」の一部になっていくのだ。
何より、娘に仲のいい友達がいるということ、私はそれだけで嬉しい。女2男2(たまに男+1)というバランスの良い友達グループがあって、そこに属することができている。本当に嬉しい。心強い。仲が良ければ性別は関係ないけれど、女ばっかりのグループに属してるよりは見識が広がって良いかもしれない。

いいなあー。

そういう学校生活を私も送ってみたかったョ……(卑屈)

いや、私も3年間くらいは「そういう学校生活」を送ったことがあったんだ。
その3年間は本当に楽しかった。その最中も、後から振り返ってみても、「これが『普通の』楽しい学校生活なんだ」「青春なんだ」と思った。
「友達がいる」「仲間外れにされていない」環境って、こんなにものびのびと自由に楽しく過ごせるんだなと思った。

娘は私に似てしまったのか、引っ込み思案(←私が幼稚園の頃から数えきれないほど言われ、私の人格全てをその言葉で定義された代名詞のような言葉、私の嫌いな言葉!でも正解!だから嫌い!)で、小4くらいまでは特定の友達がいなかった。幼稚園で仲が良かった子は、みんな別の小学校に行ってしまった。

娘が小4のとき、Tちゃんが転校してきた。
最初はTちゃんとはそれほど仲良くはなかったらしいが、ぽつぽつ交流しているうち、気が合うことがわかったらしい。
小5の後半にはTちゃんは娘にとって親友みたいになっており、優しい系男子2人(たまに3人)ともなぜかその時期に意気投合したみたいで、グループができた。

良かった。本当に良かった。私は心底安心した。

娘には私と同じ惨めな思いをしてほしくないのよ。娘の性格が私にそっくりだから尚更。
娘が友達グループと一緒に楽しい小学校生活を送っていることが、私の何よりの喜びです。

きっと、中学になってクラスが分かれたり部活に入ったりしたら各々別の人間関係が築かれることでしょう。そして、高校生になる時に進路が分かれるでしょう。
でも、小学生時代の楽しい思い出は、娘とそのグループメンバーの心の中に少なからず残ることでしょう。
名作小説・名作映画「スタンド・バイ・ミー」で、語り手である主人公ゴーディが、昔の友達との冒険を思い出して語ったように。
あれ、ゴーディとクリスは頭良くて将来大学に進学するんだけど、バーンとテディは落ちこぼれるんですよ。
小学生時代って、どんな学力レベルの子も等しく同じクラスにいて友達関係を築けるから、ある意味貴重な時代かもしれないですね。少なくとも高校以上になると、だいたい同じレベルの子が集まるから。

決めた。娘に「スタンド・バイ・ミー」読んでもらおう。来年(中1)、読書感想文の課題があったら、それで書いてもらおう。