王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

不可抗力の帰省

祖父が95歳で大往生した。病死ではあるが、大往生だ。十分長生きしたし、あまり苦しまずに亡くなったらしいから。

私は一人で帰省した。

今年のお正月もコロナ禍のため家族みんなでの帰省は断念し、家で年越しする予定だった。いつになったら帰省できるかわからない状況の中、祖父の訃報という不可抗力による帰省は、もしかしたら祖父がもたらした僥倖かもしれない。

不幸なのに僥倖とは不謹慎だが、そのくらい、帰れて良かったのだ。
 
まず、母の様子を見ることができた。
母は数年前に食道癌を患い、あらゆる治療の末に寛解まで至った。調子は良いらしい。
……と本人は言うのだが、実際に会ってみないことには、本当のところはわからない。
会ってみたところ、調子がいいなんて嘘っぱちもいいところだった。確かに癌は寛解したかもしれないが、薬の後遺症(本人談)で、ものすごく疲れやすくなっていた。詳しい話は割愛するが、下手すると以前よりも具合が悪そうだ。祖父の火葬にも通夜にも出席できないなんて、よっぽど体力が落ちている証拠だ。
子どもを連れて行かなくて、本当に良かった。うちの息子が同じ空間にいるだけで、母は疲弊してしまうだろう。

そんな母と、いっぱいお話しできた。
おじいちゃんの思い出話(主に困ったエピソード)とか、親戚関係の介護の話とか、母の体調の話とか、とにかく色々な話をした。これは近年なかったことである。
夫や子どもが一緒では、これは無理なのだ。

母と話した祖父の話の中で、祖父が曾孫(私や妹、従弟の子どもたち)をとても可愛がっており、ときどき私が母にメールで送る写真を楽しみにしていたことがわかった。母の携帯電話の待ち受け写真を勝手に見ていることもあったらしい。
祖父はどちらかといえば偏屈でぶっきらぼうなので、幼児を可愛がっている姿は想像し難い。
しかし、初孫で内孫の私は小さい頃確かに可愛がってもらっていたし、東日本大震災の後、私が赤ちゃんの娘を連れて実家に3ヶ月ほど避難していた際には、娘のこともとてもとても可愛がっていた。
先日撮影した息子の七五三アルバム、できて早々実家に送っておいて、本当に良かった。おじいちゃん、喜んで見ていたらしい。ぐずぐずしてたら見てもらえないところだった。

あと帰省して良かったことは、妹たちと従弟と水入らずで仲良くお話できたことだ。
何度も言うようだが、子どもが一緒だとそれは難しいのだ。私や妹(2)はそれぞれ子どもに気を取られてしまうし、妹(1)は独身で子ども好きではないので、輪に入ってこなくなる。

妹たちや従弟とも、おじいちゃんの思い出を語り合った。話はなぜか、28年前に早世した私の父の思い出や、祖母の思い出にも繋がって、広がって行った。
祖父の火葬の間、話は尽きなかった。

こうして時折故人を思い出すことも供養なのかな。
って勝手に思ってます。

おじいちゃん、95年というとてつもなく長い年月、ご苦労様でした。どうかゆっくり休んで下さい。
あとお母さん、独り暮らしになっちゃうけど、偏屈じいさんの世話をしなくて良くなるのだから、お母さんも自分のペースでゆっくり生きて下さい。←これは直接本人に明日言うわ。