王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

私はロボットではありません。

タイトル、皆様わかりますか?
なんかサイトの登録とか配信停止とかのためにメールアドレスを認証する際に、不正アクセスを防ぐ目的でパズルをやらされたり、数字やらアルファベットやらを入力させられたりするやつなんですけど。

最初に「私はロボットではありません」っていうチェックボックスをクリックさせられることがあるんです。

参考:

omocoro.jp

これは面白サイトの面白記事ですが、今日たまたまこれを読んだのと、今日たまたま仕事関係でメール配信停止の手続きするために「私はロボットではありません。」をクリックする機会があったので、このネタを書こうと思いました。
 
私、キャプチャ認証苦手なんだわ。
画像を見て、「彫像」やら「信号機」やらの画像を全て選択して下さいっていう問題出るんだけど、必ず取りこぼすんだわ。
ほんの少しだけかすってるマスを選択していいものか迷ったり、「これって彫像?」みたいな微妙な画像があったりして、一発で成功したことは一度もない。
あれ、難易度高すぎません?
 
私、ロボットなのかな。

幼稚園くらいの頃は、ロボットに憧れてた。ロボットになりたかった。当時の私にとって、ロボットはスーパーハイテクマシーンで万能の存在だったのだ。
ロボットなら疲れずに速く走れるし、おゆうぎ等も完璧にみんなより上手くできる。嫌な気持ちになることもない。

今にして思うと、私は幼稚園の頃から何らかの生きづらさがあったんだな。自覚はなかったけど。

園ではマジで友達一人もいなかった。近所に幼なじみはいた。だから園では友達は必要じゃなかった。毎日一人で遊んでた。もともと一人遊びが大好きだから、一人を寂しいと思ったこともなかった。男の子たちがやってた「全員レッドのデンジマンごっこ」にはちょっと混ざりたかった。

卒園アルバムでおともだちと写ってる写真が欲しいからという理由で、先生に「クラスの代表的な人しか触ることのできない特別な形のブロック」を持たされて、「これでその子たちと遊んで」って言われて無理やり写真撮られたもんなぁ。よっぽどおともだちと遊ぶ素材が足りなかったんだろうな。どう遊んでいいかわからなくて、ブロックをいじくり回すしかできなかったな。おともだちと一緒に遊ぶという選択肢は存在しなかった。だって友達じゃないから。

まあ私自身はそれを寂しいとは思ってないし、今でも、煩わしさを感じる人間関係ならいっそゼロの方がいいと思っている。マイナスよりはゼロの方が良くないですか?

当時はおおらかな時代で良かったわ。今だったら自閉などを疑われてもしょうがない園児だった。
男の子が奇声を発しながら髪の毛を引っ張ってきたことあったけど、私はそれに対して特に何も感じなかったからそのまま様子を見てた。そしたら先生が飛んできて、「嫌だったら嫌だとか痛いとか言うんだよ」って言ってた。私は特に嫌だとも痛いとも思わなかったから黙って見てただけなのに、変なのーと思ってた。
 
今でも、一切の感情を排除したロボットになりたいことがある。
めんどくさくないですか、感情って。
40代なのに中二病みたいなこと言ってますが、マジマジのマジです。本気と書いてマジです。感情がなければ、人類はもっと合理的に生きていける。

しかし、ロボットになってしまうと、ストロングゼロドライを飲みながら唐揚げ食って「うめ~~!幸せ~~!」っていうことがなくなるのかな。
そういえば今日、エルグランドかアルファードか、そういうデカいワゴン車から腕を出して運転してる人を見かけて、「あの腕が車の腕だったら体に対してすごくちっちゃくてバランス悪くて面白いな、ティラノサウルスか、ドラクエの"あばれうしどり"みたいだな」って思ったんだけど、こういうのを面白がることもなくなるのかな。
あばれうしどり参考画像:https://matome.naver.jp/m/odai/2141784887905008001/2141786270022601603
 
「美味い」と「面白い」は私にとっての二大「人生を生きる意味」なので、それが失われるならば、ロボットになるわけにはいかないな。
 
私はロボットではありません。