王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

普段の食と食文化と「ちゃんとした食」の呪い

「ドイツの食事は効率的」というのがX(旧Twitter)で話題になってた。
前回それについて思うところを書こうと思ったら、序盤から脱線してカトリックプロテスタントに対する私のイメージを語ってしまい、当初予定してたのと全然違うところに着地してしまった。

前回のはこちら↓

yamakinkin.hatenablog.com


X(旧Twitter)でドイツの食事についてポストしてた人たちによると、ドイツの家庭では日本の家庭みたいに三食きっちりきっちり料理をしないようだ。
夜はパンとチーズとハムだけとかが普通であり、日本の夕食と比べたら簡素だ。そのかわり、昼は良いものを食べているらしい。日本では夕食にウエイトを置きがちだけど、ドイツでは昼食が一番なんだそうだ。
あと、ドイツの人は、普段の食事は簡素で効率的にしてるけど、休日には子どもとクッキングを楽しんだり、特別な日には特別な料理をちゃんと作るらしい。

人間だから、美味しいもの食べたら幸せになるもんね。日本のそれがちょっと異常なレベルだというだけなんだよね。


前回も書いたが、日本人の「食」を大切にする姿勢には並々ならぬものがある。
「家事」を表す別の言い方として「炊事洗濯」ってのがあるが、「炊事」がトップに来ている。「炊事」とは「食物を煮炊きすること」である。つまり料理である。やっぱり。

思うに、日本人は料理をちゃんとしすぎなのではないか。
5年前の私がそれをしっかり書いていた。

yamakinkin.hatenablog.com

実はこの記事には、私が今回目指した着地点までしっかり書いてあった。いやー前に書いた記憶があったんだよねー。やっぱ書いてたねー。5年も前に。

この時は毎日のお弁当作りが嫌すぎて現実逃避するあまり、常日頃から思ってたことをつらつら書いた。読み返してみたら、今もその思いは全然変わっていなかった。

いくつか引用しよう。

◎もちろん料理をちゃんとするのは良いことだ。(中略)「食育」とか言ってそれを次世代に遺そうとしている。

◎だけど、このせいでお母さんに負担がかかりすぎるのは良くない。

◎「ちゃんと料理をするお母さん」がいいお母さんで、共働きなんかで既製品に頼りがちなお母さんは良くないお母さん、みたいな風潮は今でもある。

◎労働力を移民で補うのを考える前に、きちんと教育を受けている日本人女性を活躍させるのが先じゃないの?と思う。旧弊な価値観で女性を縛るのは時代錯誤だぜ。

◎ちゃんとした料理や食育は時間がある休みの日にでもやって、あとの日は働いたり遊んだりするのがいいと思う。私はそうしてる。

意図せずドイツ式を目指してるな、私。

私は、料理すること自体はわりと好きなんですよ。少なくとも苦にならないレベル。そのかわり掃除や整理整頓が苦手/嫌いなので、普段の掃除と食器洗いを夫にやってもらう代わりに料理と洗濯は請け負うよというスタンスでやってます。

但し、共働きのため、平日はそんなに料理に費やす時間がありません。ぜんぜん「ちゃんと」やってません。少なくとも、昭和の専業主婦のレベルではありません。近年は子どもの習い事で週の半分以上は何らかの送迎をしてるから、尚更です。

私の場合、昭和の専業主婦の母がモデルケースになってるから、「母と比べてちゃんとやってないなあ」って引け目を感じちゃうんですよ。

これも良くないなあと思っててね。

「きちんとしたものを家族に食べさせる義務」「それが当然」みたいになってしまっている。これはある種の呪いだなと思う。
いや、時間が取れる人が家事をしっかりやるのは良いことですよ。そして、それを誇りに思う価値も大いにあります。
が、共働きなどで家事に十分な時間が取れないのに、「昔の母と比べてちゃんとやってないなあ」って引け目を感じる必要はないと思います。環境が違うから。

……という認識に、世の中全体が、なっていけばいいなあ。
私の願いです。

あと、特に家族がいる場合、買うより作った方が安上がりだから三食作ってる人もいるだろう。私もわりとそう思うので、わりと作る。
このへんは各家庭の事情によるので、特に何も言うことはない。

日本の食文化は素晴らしいし、後世に遺していきたいとも思う。
但し、時代が変わったので、三度三度の食事はある程度適当でいいと思う。たまに気が向いたときに家庭料理を作るとか、たまにお店で和食を食べるとか、そういうのでいいんじゃないかなー。

そうじゃないと、現代の日常生活は回らない。共働きなら尚更である。

ふんわり着地したので、この話はこれにて無事終了。