王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

修学旅行は必要か。

巷(の一部)では、修学旅行不要論なるものが持ち上がっているらしい。

旅行ぐらい家族で行くからわざわざ学校行事で行かなくてもいいよとか、クラスで浮いてたからぜんぜん楽しくなかったしそういう子が可哀想だよとか、行き先に魅力がないよとか、そういうこと。
逆に肯定派の意見は、修学旅行という機会がないと一生新幹線に乗らずに過ごす子がいるとか、家が貧しかったり何らかの事情で家族旅行をしないから修学旅行でしか「旅行」の機会がないとか、(北海道民の場合)北海道から出ずに一生を終える子がいるとか、一生ディズニーランド行かずに終えるとか、主に機会の面から必要だという意見だ。

私は後者。肯定派。
中学ではクラスで浮いてたけど、修学旅行は楽しかった。
思うに、田舎の人ほど、修学旅行から得られる体験が多いから、肯定派が多いんじゃないかなーという気がする。都会の人はあんまりありがたみを感じないのかも?
私はけっこうな田舎の出身で、そのうえ「機会」「体験」「実績解除」が大好きだから、修学旅行を肯定するよ。

yamakinkin.hatenablog.com

ここからは個人の事情の話をする。

私の家は決して貧乏ではなくむしろまあまあ裕福であったが、泊りがけの家族旅行をしたことは無かった。

理由は2つ。
1つ目は、祖父が極端な出不精で、住んでいる町から出ることすら珍しかったこと。町外に出るといえば、せいぜい隣町の温泉にチョロっと行って帰ってくるぐらいだった。一方、祖母はたま~~に故郷の青森県に行っていた。帰省だったのかも。
2つ目は、父が忙しかったこと。体が弱いくせにめちゃくちゃ働くから、日曜は疲れてずっと寝ていた。当時は日曜しか休みがなかったのだ。

家族行事といえば、年に1回か2回、車で1時間くらいのところにお出かけするくらいだった。それでも十分非日常で楽しかった。そして、それにすら祖父はついてこない。
北海道から出たことがないどころか、小学校の修学旅行で行くまで、県庁(道庁)所在地の札幌にすら行ったことがなかった。今に至るも、札幌なんて4回しか行ったことない。

だから、町内会のおでかけで少し遠くの町の遊園地に行くことすら、まあまあ楽しみだった。

修学旅行は、泊りがけでもっと遠いところに行けるのである。楽しみでないわけがないだろう。

中学の修学旅行の行き先は、東北地方だった。
たとえ当時、カースト上位から嫌われていて友達と呼べる人がいなかったとしても、私は修学旅行が楽しかった。初めて道外に出られたことが嬉しかった。県境 [ken-zakai] というものを初めて見て、内心感動していた。

19歳のバスガイドさんに、B'z(あのB'zです)の存在を教えてもらった。当時B'zは2ndアルバムが出たぐらいの頃で、まだそれほど売れてなかったのだ。
そのバスガイドさんが窓の外を走っている電車を見て「青森の電車、2両で走ってるんだよ、田舎でしょ~」と言うのに対し、みんなで「うちらのとこは1両で走ってるよ」というまさかの田舎マウントをかましたのも良い思い出。むしろ複数両で走る電車を私は初めて見た。

そういう「外部の初めて」が、田舎には極端に少ないのである。
いやB'zはバスガイドさんに教えてもらわなくても遅かれ早かれ出会っていたとは思うが。

この中学の修学旅行で「東北地方に行く」実績を解除したことにより、のちに私は内地の大学に進学することになる。
本当は北海道から出るつもりはなかったのだ。センター試験自己採点の結果、志望大学に届かなそうだったから、急遽内地の大学に願書請求して、受験して、合格して……という人生を送っている。もし中学の修学旅行で東北地方に行っていなかったら、道外に進学するという選択肢はなかったはずだ。そのくらい、その東北某県の印象がステキだったのだ。
無論、そこに進学していなければ、今の私は存在していない。

このように、人生、何がきっかけでどう転ぶかわからない。だから、体験の機会は多い方がいい。特に田舎の人。


高校の修学旅行は、奈良・京都からの、帰りに東京都内及びディズニーランドという、豪華なコースだった。
もう初めてだらけだったよ。初めての寝台特急。初めての新幹線。初めての渋谷東急ハンズ。初めて意識した竹やぶ
中学時代に行った東北地方にも竹やぶはあったと思うけど、一緒にいた友達(高校のときは友達いた)が、「竹やぶだー!」って言って感動してたので、私は初めて竹やぶを意識した。北海道に孟宗竹は(ごく一部地域を除き)生えていない。笹やぶしかない。北海道のたけのこは姫竹。

宿泊先の新宿のシティホテルの部屋になぜか使用済みとおぼしきコン〇ームが落ちてたことも物凄い印象に残っている。私たちは田舎の純真な高校生だったので、フロントに連絡もせず、触りもせず、チェックアウトするまでそのまんま放置しました。
清掃の人、気づかなかったのかな。後で片付けようとして忘れたのかな。
それとも、田舎の高校生が泊まるとわかってわざと放置したのかな。可能性あるよな。

奈良・京都もディズニーも、それぞれ印象には残りましたよ。
ディズニーランドにお相撲さんの集団がいたこととか、平等院鳳凰堂の宣伝写真(パンフレットや絵ハガキなど)はたまたま人がいない時を狙いすまして撮ったものだという話を聞いたこととか、奈良の人はご飯に熱いお茶をかけたのを好んで食べるから食道がんが多いと聞いたこととか。

些細な思い出ばかりが印象に残っている。
奈良の大仏も見たし、清水寺龍安寺金閣寺も普通に行ったはずなんだけど、おかしいな。

個人的には、やっぱり初めて道外に出た中学の修学旅行の方がインパクトが大きかったです。

修学旅行は、普段旅行に行けない子どもも平等に旅行に行けるという意味で、私は必要だと思います。なにげな~く行っただけでも、何らかの形で後の人生に影響してくるかもしれない。

私が体験した修学旅行の、その後の人生への影響度がたまたま大きかっただけかもしれません。
でも、たまたまではあっても、何かを経験するとしないとでは、経験してた方がいいと思うのよね。修学旅行で経験できる種類の経験は。

その経験の機会が平等に与えられるという点で、修学旅行は有意義であると考えます。

特に田舎者には効果4倍(謎)。