王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

あいまいな日本語と息子と私と日本語

「かなこ(仮)嫌い。日本語通じないんだもん。」
と、息子がプンスカしていた。

かなこ(仮)とは、けっこう年配の、児童クラブ(=学童保育)の職員である。多分間違いなく日本人で、ネイティブ日本語スピーカーである。

児童クラブの先生を呼び捨てにしないこと、そういう言い方をするもんじゃないことを注意した上で、「何があったの、日本語通じないって何?」と息子に聞いてみた。

事の顛末はこうだ。

児童クラブでは、下校した子どもたちが宿題を済ませ、その後自由に遊び、先にお迎えが来て帰る子は帰り、残った子どもたちは帰るまでの間、DVDを観てお迎えを待つ。
その日のDVDは、息子が既に観たことのあるアニメ映画だったようだ。
みんなが帰って息子が最後に残ったので、好きなシーンを観るために、かなこ先生(仮)に頼んでDVDを進めたり戻したりしてもらおうとしたらしい。

「そしたらね、『もうちょっと前』って言ってるのに先に進めるし、『もっと後ろ』って言ってるのに戻すの。全部逆にするの。日本語通じないんじゃない?」

ああー……。それは私も嫌いな、日本語の難しいやつだー。息子もかなこ先生(仮)もどっちも悪くないやつだー。

息子の「前」は、今自分がいる時間より以前のところ、つまり時間で言うと早いほうのことだという認識のようだ。しかし、先生の「前」は、今自分がいる時間より先に進んだところ、つまり遅いほうの時間だと解釈したようだ。
同様に、息子の「後ろ」は時間が先に進んだ遅い方、先生の「後ろ」は自分の後ろに過ぎ去った早い時間の方。

「前」とか「後ろ」は、話し手から見た主観的な前後しか表すことができない。「前」「後ろ」はいずれも相対的であり、東西南北みたいに絶対的な座標(注1)ではない。誰から見ても同じではない。
今回は、息子が向いてる方向と先生が向いてる方向が完全に逆だったから齟齬が発生したのだ。

息子が最初から「戻して」「進めて」という言い方をしていれば良かったんだな。


以上の内容を、一緒にお風呂に入りながら、息子にわかるように一生懸命説明しました。
疲れた。


尚、私は、「先」という言葉も苦手だ。
「〇〇より先に△△をやる」
という場合は△△→〇〇という順番なのに、
「〇〇の先に△△がある」
って言ったら〇〇→△△という順番になるから。
子どもの頃はマジでこれがわからなかった。先っていうのは後なの?先なの?つって混乱してた。
息子とかなこ先生(仮)の「前」「後ろ」も、私が当事者だったらもちろん同じ齟齬をきたしていたことだろう。

何だろうこれ、日本語のバグ?
他の言語のことは知らないけど、日本語ってこういうバグ多そうだよな。同音異義語が多すぎだし、一つの言葉に割り振られた意味が多様すぎる。「大丈夫です」「いいです」「ヤバい」あたりは、それぞれ完全に逆の意味で使うことも多いもんな。
挙句に日本語って、主語や目的語を平気で省略するしさ。
「雰囲気でわかれよ」が多すぎる。わかんねー人はわかんねーんだよ。

海鮮居酒屋さんで遅くまで話し込んでたら頼んでもいないエビの味噌汁が出されて、連れに「すごいね、このお店サービスいいねえ」って言ったら「これはそろそろ帰れっていう合図だよ」って教えられたことあるよ。
何だよそれ。わっかんねーーーーー!!!みんなわかるの?わかるとしたらどうしてわかるの???
※日本語関係なくなったしIQが低くなった。

私、誰かにきちんと教えてもらわないとわからないことが多いんだよな。書写のお手本が何のためにあるのかわかってなかったし。これが「空気が読めない」ってやつなんだろうな、きっと。
みんなどうして教えられてないのにわかるの?
参考↓

yamakinkin.hatenablog.com

 

 

(注1)東西南北は絶対的な座標か?
 北極点においては「南」以外の概念が存在しません。どっち行っても南です。逆に南極点においてはどっち行っても北です。
 ゆえに、東西南北ですら、北極点・南極点を中心とした相対的な概念です。絶対じゃない。
 そう考えると「上」と「下」の方が絶対的だよなー。東西南北は相対的・前後左右は主観的だけど、引力に従って引き付けられる方向が「下」、その逆が「上」なのは絶対的と言えるんじゃないかな。
 引力スゲー。