王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

陽キャの自己肯定感

前回、授業参観→学校行事に行ってきたことを(ちらっと)書いた。

私が行事の準備をしていた間、夫は下の子の授業参観に出ていた。
授業は生活科で、「ストローでしゃぼん玉の吹き具を作り、中庭でしゃぼん玉を吹く」という内容だった。子どもたちが思い思いにしゃぼん玉を吹きまくっている間、夫はずーっと担任の先生とお話をしていたらしい。吹き具作りが遅れて、一番最後に中庭に出たので、先生とお話ししながら外に出たらしい。

担任の先生についてはこちら。

とてもガッチリした体格の女の先生だ。今年度新任で、現役のアスリートでもある。

夫が先生と話した内容は次の通り。
・先生はうちの息子のことを相当かわいがってくれているらしい。好きみたい。
・息子は学校でも元気いっぱいで、とにかく声がでかい。
・息子はちゃんと、授業中に手を上げて発言したりする。そして声がでかいので目立つ。
・息子は授業中の態度は決して悪くないらしいが、ちょっと話を聞けないところがある。
・息子は1年生の割に語彙が豊かで、「なんでそんな言い回し知ってんの」という言葉がたびたび出てきて面白いらしい。

そういうことを、ざっくばらんに沢山話してくれたらしい。

 

夫が出した結論
「あの先生は、周りの人に愛されて、肯定されて生きてきた人だな。」

私の感想
「あーわかる!すごいわかる。私もそう思ってた。」

マジでそう思ってた。私が思ってたことと全く同じ感想が夫から出てきたことにびっくりしたくらいだ。


先生の言動からは、とにかく自信が感じられるのだ。とても新任の先生とは思えない。
卑屈なところが全くないし、遠慮もない。言いたいことを言っている。

例えば私が先生だったら、初対面の保護者に話しかけるのにめちゃくちゃ勇気を振り絞ってからでないと話しかけられないだろうし、なんなら少しドモるし、こんなに沢山しゃべる内容を思いつかない。また、話す前に「こんなこと言って大丈夫かな、悪い印象を与えないかな」とか、「相手を傷つけないように気を付けて発言しよう」とか、「どこまで言っていいんだろうか」とか、「こんなこと言ったらどう思われるかな」とか、「私なんかが相手にされるだろうか」「そもそも私なんかが他人様と会話をすることすらおこがましいのではないか」とか、ごちゃごちゃ考えてしまう。結果、まともな会話ができない。

陰キャはみんなそうだ。←ここまでこじらせてる人がどのくらいいるかわからないけど、多かれ少なかれこういう感じではないか。


つまり、先生は私の基準で陽キャに分類される。

陽の人は凄い。自分の発言が無条件で相手に聞いてもらえると思っている。嫌われたり軽んじられたりした経験がないか、または嫌われたり軽んじられてたりしてもそれに負けないから、自分の発言・ひいては自分が、当たり前に存在して良いものだと思っている。それは私から見たら凄いことなのだ。
私が軽々しく「陽キャ」って言ってる人たちも、もしかしたら過去の辛いことを乗り越えてそのポジションを固めたのかもしれない。私の知らない苦労があったのかもしれない。でも、そのポジションに行けたことが凄いじゃん。私は行けなかったんだから。
行けなかったけど私は私なりに、陰は陰なりに、今人生楽しいので、慰めとかは要らんですよ。


とにかく、先生の陽っぷりがまぶしい。私から見ても夫から見ても「この人は否定されずに今まで生きてきた人なんだ」と感じられるレベル(※)って、相当なものだと思う。
こんなこと言うと私の性格が悪いんだけど、先生、鍛えててかなりウエイトがあるので、デブとかブスとか言われたことあるんじゃないかと思う。なのに自信に満ち溢れていて、とても明るい。まぶしい。
先生自身の性格と資質、そして先生を育ててきた周りの人に加え、もしかしたら筋肉が、先生に自信を与えている可能性もある。

パワー byなかやまきんに君

 

※ 私と夫とが同じ感想を抱いたことについて
私も夫も、人に頼みごとをするのが苦手・人に頼るのが苦手な質である。
一緒に酒を飲みながらたまに、「人に『○○して』とか『○○ちょうだい』とか言える人はいいよなあ、羨ましいなあ」とかそういう話になる。私がよく「そういうことが自然に言える人は、否定された経験がない人なんだ!きっとそうだ!」とかくだを巻いているので、夫にも伝染したかもしれない。肯定されて生きてきた人は、話してみればわかる。
ゴールデンカムイで尾形が花沢勇作に抱いた感情に、少し近いものがあるかもしれない。