王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

プッチンプリンをプッチンしない

子どもの頃にプッチンプリンをプッチンさせてもらえなかった哀れな子どもの話を聞いたことがあるかい?

 

その子は、北海道の片田舎で暮らす、ちょっと内気なかわいい女の子だった。
その子の家では、プッチンプリン等の、容器底面のツメを折るとプリンがお皿にプリンッと落ちてカラメル部分が上になるタイプのプリンを食べるとき、決してツメを折らせてもらえなかったんだ。

なぜかって?
女の子のお母さんが昔の人で、プリンの容器をもったいないと思う人だったのさ。
プリンの容器は、お母さんが自家製のプリンやゼリーを作るときに再利用されていたんだ。ツメを折られると再利用できないだろう?
考えてみれば、ああいう頑丈なプラスチックの容器を、食べてすぐ捨てるのはもったいないよなあ。石油資源の浪費だよ。
あと、お皿が1枚余計に汚れるのも嫌だったみたいだ。昔は食洗器なんて一般家庭にはなかったから、洗うのが面倒だったんだろう。その気持ちもわかるってもんだ。

けれど、女の子は、せっかくプッチンできるプリンを食べるのにプッチンできないことに、ずっとフラストレーションを抱えていたんだ。プリンの容器にプリントされた写真みたいに、カラメルが上になったかわいい形でプリンを食べたかったんだよ。
「お皿にプッチンしていい?」と聞いて、「今日はいいよ」とたまに許可が出たときは、大喜びでプッチンしていたものさ。いつもは容器の下に溜まっているカラメルを、上から真っ先に食べられることを、とても喜んでいた。
まあ、女の子はカラメルの部分がプリン本体よりも好きだったから、底のカラメルを最後に食べること自体にはそんなに不満はなかったようだが。

 

時が過ぎて、その女の子は2人の子どもの母親になった。

プッチンプリンの容器をもったいないなあと思いつつも、自分でプリンやゼリーを作るわけではないので、子どもたちには自由にプッチンさせているそうだ。

上の子は、喜んでプッチンしている。
かつての女の子は、その様子を見て「かわいいなあ」と思いつつも、「いつもプッチンできていいなあ」と羨んでいるみたいだ。

下の子は、「プッチンしてもいいよ」と言っているのに、いつも容器のまま食べているらしい。スプーンでプリンをぐっちゃぐちゃに混ぜて、飲むように食べるのが好きみたいだ。「プリンは飲み物」って言っているそうだ。
かつての女の子は、「せっかくプッチンしていいって言ってるんだからプッチンすればいいのに」と思いつつも、下の子の自由にさせているんだそうだ。ぐっちゃぐちゃに混ぜて飲むのも、確かに美味しいからな。給食で出たプリンをぐっちゃぐちゃに混ぜて、牛乳のストローで飲むの、流行らなかったかい?

 

この話を子どもたちに話したらまあまあウケた。
「実家の謎ルール」とか「親の謎のこだわり」とかの話はわりと鉄板ですね。