王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

常体と敬体の入り混じる文章

タイトルは私の文章のことです。

瞳さんが2018年9月に書かれたこちらのノートに繋がらせて頂きます。
https://www.shortnote.jp/view/notes/ANAFdHqj
 
これを読んで以来、いやもっと前から、ずっと私自身の文章の「常体(だ・である)」と「敬体(です・ます)」の混在について考えてました。

なんで今になってこれについて書こうと思ったのかというと、瞳さんが当該記事を投稿された当時、私はShortNoteを始めて3ヶ月程度の若輩者で、励ましのお便りを送るにも「いきなり送ったりしていいのかな、常連さんばかりの中で浮いたりしたら嫌だな、投稿から1日経って読んだけど今さらお便りしていいのかな」とか及び腰になってたからです。後になって、ここはそんなこと気にしなくていい場所だと確信しましたが。

そして、今日になって急に私の中で結論が出たからです。 

結論:読者の皆様に寄り添って説明したい時は敬体を使用し、「私こと山本金魚がただただ語りたいとき」は常体になる。

だから敬体だけでできてるノートもあれば、途中から常体になって勢いで最後まで突っ走るやつもあります。たいがいは混ざってます。
 
常体と敬体は、混在してはいけないものとされています。学校でそう教えられます。
学校での作文や、企業・官公庁における対外的・内部的な各種文書。そういうものは、常体と敬体が混在していてはいけません。
私とて企業の人だから、普段ビジネス文書はこれ以上堅いのはないだろってぐらいカッチリしたのを書いてます。

でもここは学校や企業・官公庁ではないのです。好きに書いていいのです。
学校で混在は良くないものと教えられたから、混在に違和感を持つ人はいるでしょう。
その違和感こそが、私の狙っている「効果」です。

「~~は○○だそうですね。
しかし私はそうは思わない。」
こういう構文、間に改行入れてよく使ってます。この後一方的な語りが始まるパターンのやつです。

リズムを意識しています。
敬体で論理的に穏やかに何かを述べたあと、常体で感情的に勢いを持たせることもあれば、常体で語りたいだけ語ったあと、敬体で「そう思いませんか?」って急に問いかけてみたりします。
 
まあ一番には「自分が後から読んで面白い文章」を目指してやってます。
何のためにwebに文章を投稿してるかと言えば、自分が楽しいから。それだけだからね。プライベートの時間には、楽しくないことはしたくない。
そして自分の書いたのを後から読んで「いいなあ」「やっぱ私の文章はいいなあ」と思いたい。
とんでもねえナルシストですよ。文章ナルシスト。 
下手な文章じゃあ自分は満足しないから、最低限私が満足するパフォーマンスでないといけません。
 
なんだこれ。ナルシストというよりオ(以下自粛)
 
私はこれまでもこれからも、私が読んで楽しい文章を書きます。
皆様が読まれても楽しい文章であるように、私というもののありかたを常に意識していたいです。
 
や、別に意識高くないんですけどね。楽してダラダラ生きたいんですけど。その中で常に面白いコンテンツに触れていたいってだけです。その面白コンテンツを自作できたら困らないじゃんっていう自給自足の気持ち。
 
終わりはありませんしオチも特にありません。