王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

VS人工物

「お人形さんみたいに可愛い」という言葉がある。

顔の造形が非常に整った人への褒め言葉である。自然にその形になったのではなく、まるで理想の形に整えたみたいなきれいなお顔ということである。
褒め言葉であるが、私はなんとなく、素直に褒め言葉と取っていいのかどうか微妙なイメージを持っている。
私は言われたことないから関係ないけど、言われた側は嬉しいんだろうか。


私は、きれいなお花を見たとき「造花みたいにきれい」と思うことがある。

主に胡蝶蘭系の、形が美しい、蝋みたいな質感のお花を見たときにそう思う。まるで人が理想の形に作ったみたいだなって。
これももちろん褒め言葉なんだけど、花の側からしてみたら、自分の力でそういう形に育ったのに、人が作った造花なんてものに喩えられるのは心外なのではないか。
そりゃ観賞用の花は人間が楽しむために品種改良やらお手入れやらをされたものかもしれないけど、根から水分や養分を吸い上げて懸命に咲かせた花は、間違いなくその花自身の成果である。
それを造花なんていう人工物に喩えられるのはどんな気分だろうか。植物に心があるならだけど。

 

こういう、すごく出来のいい物事を人工物に喩えるやつが、私の中にもう一つ生まれた。

「YOASOBIさんの歌は、加工したみたいに凄い」。
あれを人がちゃんと歌ってるのは驚きだ。
スタジオ音源はそりゃ多少加工してるだろうけど、ライヴ映像を見る限り、ちゃんと人が歌っている。

「ボカロみたい」と言い換えてもいい。そのくらい凄い歌唱力だ。完璧に近い。

自分の中からごく自然にそういう感想が出てきて、もちろん私からしたら「加工みたい」は最大級の褒め言葉なんだけど、言われた側は本当に嬉しいかな、と思った。
加工した音声の方が肉声よりも上の扱いってこと?という微妙な気持ちにならないだろうか。

 

YOASOBIさんの歌が凄いので、「お人形さんみたいに可愛い」「造花みたいにきれい」という言い方について改めて考え直してしまった。それもこれもYOASOBIさんの歌が凄いせいだ。

カラオケであれを完璧に歌えたら、凄いだろうなあ。
私の普段の声質とギャップがありすぎるので、喉を絞って可愛らしい系の声を作らないと、雰囲気が出ない。そうすると喉に負担がかかって、その日歌える曲数が減ってしまう。
素人のカラオケなんだしモノマネじゃないんだから普段の声で歌えばいいんだけど、私は原曲のイメージを極力大切にしたくて、似せようとしてしまう。

それ以前に、当分、カラオケに行く予定はない。

行きたいなあ。カラオケ。