私は生まれも育ちも田舎なので、話す言葉はバリバリ訛っていた。中学生のとき、思春期特有の自意識過剰により、訛っているのが恥ずかしくなって、テレビのニュース等を参考にしながら標準語らしきものを会得した。以来30年くらい、住むところは色々変わったが、ずっと標準語らしきものをしゃべって生きている。但し、実家に帰ると言葉は少し戻る。
その過剰な自意識がまだ残っており、私は方言全開で話しかけてくる人が苦手だ。ここ(現住地)の方言であってもだ。
私にとって方言はプライベートなものなのだ。家族や友人間で使うのは良い。しかし、そのプライベートな言語を「それほどよく知らない相手」に向けるのは距離感が近すぎて宜しくない。あくまで私にとっては、だが。
私は初めての相手とはゆっくりゆっくり距離を縮めていきたいタイプだ。方言全開で話す人はそんなのお構いなしで一気に距離を詰めてくる人だ。合わない。
先日、わが社に設備修理のため業者の方が訪れた。バリバリの関西弁を話されていた。一発で苦手意識を持つのに十分だった。その方が何か悪いわけではない、私の側に苦手意識があるだけだ。
関西弁というのもミソで、関西弁はテレビ等で標準語並に広く浸透しており、全国どこでしゃべってもまあ通じるものだし、関西弁話者もそれを意識してか、無理に標準語に合わせない人が多いように思う。もし青森の人や沖縄の人なら、自分の母語をそのまま話したら他の地域の人には通じないであろうことを予測して、ある程度標準語に寄せて話すはずだ。関西人はあまりそれをしない。ある知り合いの関西人は、関西弁を方言と認識していなかった。
バガが。方言だべや。って言っといた。
私にとって方言は私服や部屋着のような感覚のものだ。ビジネスの場で自分の方言を全開で押し通す人は、スウェットで打ち合わせに来ているも同然、という感覚を私は持っている。
先に述べた関西弁バリバリの業者の方は、例えるならばフロックコートで商談に出て「これは帝政ロシアでは正装ですから」って言ってるようなものだ。
そういう個人的な感覚の話。
どちらが悪いのでもない。