王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

匂いは過去への扉2

今、私の家の階段下の納戸を開けると、産婦人科の匂いがする。
正確に言うと、出産後入院していた個室のトイレの匂い。

事の発端は、新型コロナウイルス感染拡大に伴うトイレットペーパー不足問題だ。これを書いている今こそ(テレビでも「デマでしたよー、トイペは十分な在庫がありますよー」って言うようになったので)だんだん店頭に陳列され始めてきたが、デマ拡散当初はトイペの棚という棚が空っぽで、酷いありさまだった。
その時夫があちこち探して買ってきたトイレットペーパーが高級な香り付きのやつで、それを納戸に保管している。その匂いが、産婦人科のトイレを思い出させるのだ。

匂いというのは不思議なもので、連動していろんな思い出が蘇ってくる。

私にとって産婦人科の個室は、自分が産んだ子どもと対面した喜ばしい場所であるのと同時に、もどかしい、やるせない、不甲斐ない思いでいっぱいの場所なのである。

私は母乳があんまり出なかった。
そして子どもたち2人ともおちょぼ口で、おっぱいを飲むのが下手だった。
看護師さんや助産師さんにものすごい痛いおっぱいマッサージをされた思い出もあるし、授乳量(飲み始めと飲み終わりの子どもの体重を測って差をみる)がいつもいつもゼロで、くじけそうになった。実際くじけてた。
その上、私ときたら運動能力がポンコツで体が固く、自分の体が上手く動かせないので、沐浴の際に赤ちゃんの耳を押さえながら赤ちゃんをお湯に入れることができなくて、またそこで凹んでた。母乳も出ない上に沐浴もうまくしてやれないのか、といって、それはそれはもう凹んだ。泣いた。

今となっちゃどうでもいい話なんですよ。結果的に母乳は出て、4ヵ月ぐらいしたら子ども(2人とも)が母乳以外受けつけなくなって粉ミルク飲んでくれなくなって逆に困ったし、沐浴なんて、子どもの体がきれいになれば手段なんかどうでもいいのだ。
今、子どもたちは、すくすく健康に大きく賢く面白く育ってる。

でも、当時は、母乳が出ないとか色々なことが思い通りにいかないとかは、世界一大きい悩みだったんです。
当時の私は、「今となっちゃどうでもいい」に至るまでの道筋や方法を知りたかった。
でも方法なんかないし、ほんとに「自然とどうにかなった」という他ないので、私は当時の私に何のアドバイスもできません。「何とかなるから」しか言えません。

当時の私は、虐待事件で3歳とか5歳とかの子が亡くなったニュースなどを見て、「3歳や5歳まで育てられたの凄い」と思ってましたからね。
0歳児の子育てで悩んでると、マジでそうなります。

真面目なんだよな私。←無理やり結論付けました。