王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

人助けは気持ちがいい

娘がお小遣いを貯めて、ニンテンドーSwitchのソフト「ポケモン不思議のダンジョン」を買った。
その数日後、息子が体調を崩したため、母子3人で家に数日引きこもることになった。
私も暇ができたので、「ポケモン不思議のダンジョン」をやらせてもらった。

はい家事そっちのけで大ハマりー。
気が付いたら娘のアカウントのより強くなってて、ダンジョン半ばで倒れた娘のチームを救出しに行ったりできるようになった。

私は、「不思議のダンジョン」シリーズの経験者なのである。
スーパーファミコンの「トルネコの大冒険(初代)」は、めちゃくちゃやり込んだ。

不思議のダンジョン」とは、入るたびに地形が変わる、落ちてるアイテムや敵の配置まで変わる、敵と自分とは交互に動くターン制、という種類のゲームだ。おもっきし説明を端折った。

さて、「ポケモン不思議のダンジョン」は、主人公がポケモンとなって、パートナーと救助隊を結成し、いろいろ人助けをしながら冒険する。
メインストーリーも面白い(未クリア)のだが、私は人助けが気持ちいい。
※あくまでゲーム内での人助けに限った話だと思って聞いてほしい。

メインストーリーとは別に、救助隊への依頼という様々な小さいミッションが発生する。それらの依頼をクリアしていくと、お金やアイテムがもらえたり、救助隊ランクが上がって色々いいことがあったりする。
救助されたキャラは、感謝してくれる。感謝されると、満更でもない気持ちになる。それもいい。

ダンジョン半ばで倒れたプレイヤー(インターネットで繋がった他所の人)を救助しに行くこともできる。ダンジョン半ばで倒れると、得たお金やアイテムを全て失ってダンジョンの最初から再チャレンジするか、他のプレイヤー(または自分のところの別チーム)に救助されないと、プレイを再開できないのである。
冒頭で言った、私が娘のチームを助けに行くというのは、そういうことである。
こちらの場合、謝礼はもらえるが、他のプレイヤーが直接感謝の意を示してくることはない。しかし、私に救助された人はプレイ再開が可能になって喜んでるんだろうなーフフフ、というふうに、どこの誰とも知らない人の感謝を想像して、いい気分になる。

そしてここからが重要なのだが、倒れたプレイヤーを救助できるということは、私の方が実力が上ということなのだ。
私の!実力で!ダンジョンで倒れて困っている人を!今日は!4人も救助してやったぞ!
有難く思うんだな!!!
という、いい気分になる。優越感にひたりまくれる。

人助け、最高。
※あくまでゲーム内での人助けに限った話です。

※しかし、現実でもこういう気持ちは少なからず発生する。人間というもの、払ったコスト=労力にはそれに見合った報酬が欲しいものである。

※実力もさることながら、実は私が最初に選んだキャラと途中で拾ったキャラの技が良かった。娘のはなんか弱い。そういう「引き」みたいな要素もある。