王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

パンはパンでも→からのヨシタケシンスケ氏の話

パンはパンでも食べられないパンはなーんだ?

模範解答:フライパン
 
以下屁理屈解答例:
ガッッチガチに硬いパン……物理的に食べられない。
腐ったパン……ほんとは食べられる。但し食べるとお腹を壊す。某ゲームだとちからが-1、HPが-5。
食品サンプルのパン……実際にはパンじゃないが、「フライパン」がアリならこれもアリだろ。
泥水に浸したパン……食べられるとは言わせない。但し、これ食べなきゃ死ぬっていう飢餓状態なら食べるかも。
犬のよだれでデロッデロにしたパン……無理。但し飢餓状態なら(略)
海パン……食べられない。正解。
腰パン……ズボンをずり下げて穿くこと。
腹パン……腹にパンチすること。
パンダ……パンじゃない。しかも肉焼いたら食べられる。但し食べたら色々問題になる。
1切れ1億円のパン……石油王でもない限り食べられない。しかし物理的には食べられる。

まあ、こんなことをね、娘と風呂入りながらブレーンストーミングしたわけですよ。
 
くだらないと言うのは簡単だが、いろんな食べられないパン及び食べられない理由をどれだけ考えられるかは立派な思考実験だと思いましてな。
 
でもこれ、なんかヨシタケシンスケみたいだなと思った。
「りんごかもしれない」「おしっこちょっぴりもれたろう」で有名な絵本作家です。お子さんがいない方はピンとこないかもしれません。それはすみません。

私、申し訳ないですがヨシタケシンスケ作品あまり好きじゃないです。
「りんごかもしれない」を読んだんですが、あまりにもフリースタイルすぎて、「前提がりんごじゃなくても成立するじゃん」と思ってしまったんです。りんごである必然性がない。りんごじゃなくてもいいじゃん。

あと、「ふまんがあります」という、子どもから見て大人に不満がある本も読んでみたんですが、大人の回答がいろんな可能性を含んで想像力をかき立てるものである一方で欺瞞に満ちていて、「嘘じゃん」と思ってしまった。
関西風に言うと「自分嘘ついてもうてるやん」。

個人的になんか嫌なんですよ、子どもに嘘やごまかしをするのって。それがメルヘンであってもファンタジーであっても、「嘘やん」と思ってしまう。子どもには誠実でありたいんだ。メルヘンやファンタジーはフィクションで触れてくれ。
で、そのフィクションがヨシタケシンスケであるというアンビバレンス。
 
私が幼少時にメルヘンの世界に生きていたのを、周りの大人ではなく想像力の足りない知能の低いおともだちに馬鹿にされて打ち砕かれてきた負の記憶が後を引いています。

試しにさっき「ヨシタケシンスケ 嫌い」という意地の悪いワードでぐぐってみたところ、ご本人のインタビューが出てきまして。

さいころから引っ込み思案で、友達もいなくて、自分で自分のことをぐるぐる考えるようなイヤなヤツでしたね(笑)

まるっきし私じゃん。
 
苦手の正体は同族嫌悪でした。おそまつ。