王様ホール

考えたことや感じたことや起こったことを書きます。

小1のネーミングセンス

息子が学校から紙ずもうのおすもうさんを持ち帰って来た。
ワークブック的な教材で、そういうのがあるらしい。図工?いや生活科か?

とりあえず、おすもうさんの裏面にはこう書いてあった。

力士の四股名あるある。
うちみたいに大相撲中継も夕方のニュースも観ない家では、子どもたちに「四股名あるある」が通用しない。
この教材は、そんな現代の子どもたちにも優しく「四股名あるある」を教えてくれている。

「やま」、「かわ」(川が付く力士って私はあんまり思い浮かばないな)、「うみ」などが付く、強そうな名前を考えてあげよう。


うちの息子が考えた、強そうな名前はこちら。

「ごりごりたろう」。

おい山や川や海どこ行った。裏面の解説ぜんぶ無視か。
百歩譲って、うちの子は相撲のことをまるで知らないから「山」とか言われてもピンと来なくて無視しちゃったのはわかるんだけど、「ごりごりたろう」て。

息子の考える「強そうな名前」が「ごりごりたろう」なんだなと思ったらおかしくて、私はツボにハマった。

息子に「ごりごりたろう(ごりごりは平坦なアクセント)って名前が強そうだと思ったの?」と聞いたところ、息子は「『ごりごり・たろう』じゃないよ、『ごり・ごりたろう』だよ」と言った。
なんてこった。
ごり・ごりたろう。
ごりたろう~~~~!!

わかったよ。強そうだ。君がそれを強そうだと言うのなら、それは強そうな力士の名前なんだ。

息子がクラスで浮いてないか心配な私は、息子に、おともだちは力士にどんな名前をつけていたのか聞いてみた。

息子いわく、
「〇〇くんは『ハイパー山』ってつけてた。あれ?『ウルトラ山』だったかな。『ウルトラ山』だ、『ウルトラ山』。あと、△△くんは『パリピ山』ってつけてた」
とのこと。

うん。安心した。みんな小1だわ。

こうなると、クラス全員分のネーミングを見てみたい。

もっともっと独創的なネーミングが溢れ返っているに違いない!

渡辺は豆をまかない・本歌取りと後日談

私がはてなブログに引っ越して来る前に文章を投稿していたShortNoteというサービス(現在はサ終)にて、確か昨年のこの時期、「渡辺は豆をまかない」というタイトルのノートを投稿されていた方がいらした。タイトルこれで合ってましたかね。
※コメント不可の場合は無理してコメント下さらなくても大丈夫ですよ。事情は存じておりますゆゑ。

今ではだいぶ浸透してきた豆知識(節分だけに豆)(やかましいわ)だが、苗字がワタナベの人は豆をまかなくてもいいらしい。そのことを題材とした楽しいノートであった。
現在それを読むことができないのが寂しい限りである。

昔、渡辺綱という英雄が鬼を退治したので、今でも鬼はワタナベ姓の人を恐れており、節分でもワタナベさんちには襲ってこないのだそうである。だからワタナベさんは豆をまかなくてもいい。渡辺でも渡邊でも渡邉でも、その他いっぱいあるワタナベでも、どんなワタナベさんでもいいらしい。

私は社会人になってからそのことを知った。
幸い(?)私の住んでいるあたりは、ワタナベさんがやたらと多い。佐藤さんと同じくらい多い。だからこのネタを知った当時、会社で、ワタナベさん3~4人にアンケートを取ってみた。
すると、私が聞いたワタナベさんたち全員、豆をまかなくてもいいということは知っていながら、毎年豆まきを行うのだそうだ。
理由は、「なんとなく一応やる」「やらなくていいのは知ってるけど、子どもたちが楽しそうだからやる」「子どもたちを年中行事に親しませるためにやってる」みたいな感じだった。

なんということでしょう。私が取材したワタナベさんたちは、わざわざ豆なんかまかなくても鬼より強いのに、面白いからという理由で敢えて豆をまくのです。
「今度のテスト自信あるし100点間違いなしだけど、一応勉強はしとくか」みたいな余裕を感じます。

そういった取材結果を、当時、本家「渡辺は豆をまかない」のコメント欄に書かせて頂きました。

今思うと、「100点取れるけど一応勉強する」に加え、「舐めプ」「死体蹴り」的な、すげえ上からの余裕とも取れますね。すげえぜ豆をまくワタナベさん。こっちの方が「鬼に金棒」なんじゃないのか。「鬼に金棒」の同義語、「ワタナベに豆」。


こういう思い出を書きに来ただけじゃないんですよ今日は。
今年、会社でもう一人ワタナベさんから豆まき事情をを聞くことができたんです。

そのワタナベさんは、豆まきをしないワタナベさんでした。その人はワタナベ家に嫁いだ後天的ワタナベさんです。嫁ぎ先のワタナベさんが、豆まきをしない堂々たるワタナベ家だったようです。小学生のお子さんが2人いるようですが、それでも家で豆まきをしない、誇り高きワタナベ家のようです。
※豆まきをするワタナベさんを下に見る意図はありません。

そのワタナベさんは、「このままでは子どもたちが豆まきを知らないまま大人になりそうだから、今年は豆を買って豆まきしようかなー」と言っていました。
私は聞きました。「え、お子さんたちの幼稚園とか小学校で豆まきイベントなかったの?」と。

そしたら、そこに衝撃の事実が!

そのワタナベさんのお子さんたちの幼稚園とか小学校で、「あなたはワタナベだから豆まきしなくてもいいんだよ」とか言って、全員に配られる豆をもらえなかったり、みんなが鬼の絵を描いてるときに描かせてもらえなかったりしていたみたいです。

ええー何それ。
一種のイジメ?可哀想じゃない?
その地域のワタナベさんはみんなそんな仕打ちを受けてるの?(それは聞き忘れた。)

風習を大切にし過ぎじゃない?
もしや、先生たちが鬼……?

ちょっと、あまりの衝撃の大きさに、細かいことが聞けませんでした。

うちの子どもたちの同級生にもそれぞれワタナベさんいたけど、クラスの子みんなと同じく豆まきしたり鬼のお面作ったりしてたなあ。

なんかモヤモヤするけど、このまま終わります。終わるしかないので。

フォンダンショコラの影響力

先週末、スシローに行った。

子どもたち(と、たまに私)は、お寿司を食べた後にデザートを注文する。
今回は、デザートのラインナップに「フォンダンショコラ」があったので、小6娘に勧めてみた。小1息子は既にタッチパネルからクラシックプリンを注文してモコモコ食べていた。

フォンダンショコラとは、切ると中からチョコレートがトロリと出てくる、あったかいチョコレートケーキである。
あんまり冒険しない娘にその説明をして、私がしきりにおすすめしたところ、娘は食べる気になったようだった。

ちょっと時間をかけて、フォンダンショコラがテーブルに届いた。
娘、初めての食体験。
いざ実食!


娘がフォンダンショコラにスプーンを入れると、中からチョコレートがあふれ出すと共に、チョコレートの香りが辺りにふわっと広がった。
娘は「わぁ!何これ!何これ!」と嬉しそうだった。
ひとくち食べて満面の笑みを浮かべ、「うわ!ヤバっ。何これ……ヤバい……。ズルい……。ズルいよこれは……。ヤバい、これおいしい……」

頭の上にお花がほわほわ踊っていたらしい(本人談)。
こういうイメージ。

しきりに「ヤバい」「ズルい」「おいしい」を繰り返しながら、初めてのフォンダンショコラを堪能していた。
……「ズルい」って何だ。

美味しさは、ときとして人の脳をバグらせてしまうようだ。
感情のメーターが振り切れてしまったのかもしれない。


フォンダンショコラは、美味しいだけでなく、あふれ出すチョコレートのヴィジュアルがいい仕事してますよね。ピュアな女子小学生が初体験したら「わぁ」ってなるよね。わくわくするよね。
スシローの280円だったかのフォンダンショコラでも、こんなわくわくがあるんだねえ。コスパ十分だね。

娘の初フォンダンショコラ体験を余すところなく観察できて、私は嬉しかったです。
思い出すと今でもフフフってなります。
ちなみに、頭の上のお花は、家に帰ってもまだ少し残っていたとのことでした。

 

尚、娘は優しいお姉ちゃんなので、プリンを食べ終わった弟にもフォンダンショコラをひとくちあげようとした。
その弟は普段はどちらかというと欲望に正直な方で、こんな場合は迷わず食べさせてもらうんじゃないかなと思ってた。
そしたら私たち全員の予想に反して、なぜか遠慮した。
「いいですいいです、においだけで結構です」と言いながら、お姉ちゃんのフォンダンショコラから手で逆方向にあおぐようにして(伝われ)、チョコのにおいを堪能していた。
その後お姉ちゃんが何度勧めても、私とお父さんが「せっかくお姉ちゃんがくれるって言ってるんだから、食べてみたら?」って勧めても、「いいですいいです」って頑なに遠慮していた。

なんで??

美味しさは、ときとして人を謙虚にするようだ。

 

 

(ここからは完全な余談)

どこかのスシローでどこかの馬鹿が人の寿司や湯呑や醤油におぞましいいたずらをした動画が拡散されたことを私が知ったのは、私たちがスシローに行った次の日だった。
便宜上「いたずら」とは言ったが、こんな軽い言葉で済ませてはいけない。器物損壊。営業妨害。これはれっきとした犯罪行為である。
はま寿司の件もそうだけど、こういうことをする馬鹿は損害賠償をぎっちり請求されるといい。未成年だからって容赦してはいけない。
回転寿司店のシステムは利用客の良心で成り立っているのだ。その良心を踏みにじる馬鹿に対して、私は怒っている。
もっと言いたいことあるけど、このくらいで。
娘のフォンダンショコラ初体験の思い出を汚されたくないんだわ。

気を遣われないために気を遣う

気遣いのできる人って、素敵ですよね。

私にゃ無理。無理って言い切るのは良くないから「苦手」ぐらいにしておこう。これでも人生経験を積んで昔よりはマシになってると思うけど、苦手なものは苦手だ。

まず、人が何を望んでいるのかよくわからないのだ。

じゃあ自分だったらそのシチュエーションのとき他人にどうしてほしいか?と問われたら、答えはだいたい「何もしてほしくない、ほっといてほしい」だ。
他人に何かしてもらうのは、申し訳ないからだ。
たとえ誰かが100%善意から助けてくれたのだとしても、私は感謝しながらも負い目を感じるだろう。その上、感謝の気持ちが足りなくて無礼だったらどうしよう、何かお礼や恩返しをするべきだろうか、などなど、あれこれ気に病んでしまうだろう。

なんかもう、人間社会で人間として生きるのに向いていない気がする。

そんなこと言っても私は幸か不幸か人間で、人間社会で生きていかなければならないのだ。しかも、なるべく嫌われたくない。嫌われたら目立っちゃうから、放っておかれなくなる。それだけはどうしても避けたいのだ。毒にも薬にもならない空気のような人間でいたい。
その私の生き方を他人がどう思っているかは知らないし、知りたくもない。他人の目が気になるフェイズはとっくに過ぎた。

話を少し戻して、私は他人に「何もしてほしくない、ほっといてほしい」という気持ちがすごくある。

たとえば、私は会社などで、先に歩いてた人がドアを押さえて待っててくれるのが苦手だ。先方は100%の親切心でやって下さっていることだが、そのせいで私が少し急いで歩かざるを得ない状況になったり、感謝の心を示したりしなければならないので、ちょっと煩わしい。できれば私に構わずさっさと行ってほしい。

ね。私、人間向いてないでしょ。

廊下ならまだいい。比較的素直な心で感謝できる。
問題は、階段を上った先にオフィスのドアがある状況だ。

ドアを開けて待ってて下さる人がいることにより、私は階段を少し急いで上らなければならない。その人に申し訳ないからだ。
私はあまり若くないし体重が重いので、階段は自分のペースで上りたいのだ。私がいろんな作業をしている地下フロアから地上2階のオフィスへの階段を上ってちょっと疲れているときに、ドアを開けて待っている親切な人のせいで更に急ぐ羽目になる状況は勘弁してほしい。但し、親切な人に対してちゃんと感謝していることだけは重ねて言いたい。

この状況に困っていたので、対策を考えた。

名付けて、「ドアを開けて待っててくれる人に気付いてない」大作戦。

私の頭上でドアを開けててくれる人の気配を感じ取りつつも、私はその人を見ずにひたすら下を向いて、マイペースで階段を上る。そのうち、その人は諦めて先に行く。

勝率は、ほぼ100%だ。
だって私は気付いていないのだから、急ぐ必要が無い。その人だって、私が気付いていないのだから親切心を発揮する必要がないし、ドアを閉めて先に行ってしまうことへの罪悪感を抱かずに済むだろう。
これは私なりの親切心でもある。相手に気を遣わせないために、私の方が気を遣っているのである。
言ってみれば、めちゃくちゃオフェンシブなディフェンスである←そう言い切るのには疑問の余地がある。

何もされずほっとかれる方法はただひとつ、「他人の手助けが必要になる状況を作らない」ことなのだ。

この境地に達してしばらく経った先日、広いフロアで、私の少し先でドアを開けようとしている人がいた。
私は、ドアを開けようとしながら後ろから人が来ないか確かめて振り返ったその人の視線からさりげなく外れることに成功した。私は自然にこの行動をしていた。
その人はドアを開けて普通に去って行った。

やった。

「やった」と思いつつも、「私はなんでこんな消極的な気の遣い方をしてるんだろう」と自省した。
気を遣うんならもっと、積極的に他人の役に立って感謝されるようなことに遣えばいいのに、なんで私は「気付かれないため」「他人に気を遣わせないため」に自ら気を遣ってるんだろう。

答えはひとつ。私はこういうタイプの人間で、こういうタイプが人間社会でなんとか生き抜くために身に付けた処世術なのである。


あんまり気遣いができない人かなーと思われている人の中にも、もしかしたら、私のように、変な方向に気を遣っている人がいるかもしれない。
そういう人を見つけてもどうか、そっとしておいてあげて下さい。
気を遣われることが苦手な人間もいるのです。
たいがい、そういった人は孤独ですが、自分から進んで孤独を選んでいる人だっているのです。

攻撃力の高いカタカナ

皆さん、「コエカタマリン」をご存知か。
ドラえもんひみつ道具である。

これを飲んでから言葉を発すると、発した言葉が文字の塊になって口から発射される。

参考

doranew.net

どうやら発せられる文字はカタカナ限定らしい。
声が大きいほど塊も大きくなるらしい。
発した文字につかまって空を飛ぶこともできるし、発した文字を踏み台に利用することもできる。

文字を敵にぶつけることもできる。なんかの映画でジャイアンが敵の足止めに使ってたのを見たことがある。

ということはだ。
敵に当たったときの攻撃力が高いカタカナをあらかじめ選んでおき、敵に出会ったときにその文字を叫べば、より効率的に敵の足止めができるのではないだろうか。

コエカタマリンで発生した文字は、線の太さが一定の、ゴシック体のようなフォントである。また、文字はまっすぐ飛んでいくようだ。回転はしない。「ヘ」とか叫んで回転したら自分のところに戻ってきちゃうもんなあ。

はい!
攻撃力の高いカタカナ選手権~~!!

ルール
〇文字は1文字単体とする
〇文字フォントは創英角ゴシック(これが太くて良さそうだったから)
〇文字はまっすぐに飛んで相手に当たる、回転はしない
〇文字の大きさや速さは一定とする
〇左側にいる相手に右から当てる(今回のネタを思いついたときに逆パターンを考えていなかったから)

強いカタカナを決める前に、弱いなと思うカタカナから行きます。

弱いその1「ノ」


1点でしか当たらないし、カタカナの「ノ」自体の質量も大したことないので、これは弱いです。

弱いその2「リ」

バラけてしまっているカタカナは弱いです。あと、面で当たるカタカナは、点で当たるカタカナより1点に当たる力が弱いであろうと思います。ツも同じ理由で弱いです。

これらを踏まえて、強いやつ、いきます!!


強い第3位「ロ」


面で当たるやつですが、がっちりしています。バラけないので力がしっかり伝わります。頑丈です。堅牢です。非常にしっかりした作りで、重みがあります。

強い第2位「ヨ」


3点で当たるのが強みです。しかも全体が「ロ」並みにがっちりしていて頑丈です。痛いし重い。

そして強い第1位は!CMの後!(うそ)

 

強い第1位「サ」


上の最初に当たる1点が+のようになって補強されており、かなり攻撃力が上がっています。1文字当たりの質量も重いです。ロよりも重いかも。

 

尚、左から右に攻撃する場合は、こいつが最強です。


ライダーキック&肘打ち みたいになっとる。

右から左だったとしてもかなりの質量が左端の1点で当たる構成になってるから、破壊力十分だな。


もしドラえもんの映画に出演して、コエカタマリンを渡されて敵の足止めを頼まれたら、とりあえず大声で「セセセセセセセセセセ」と叫びましょう。
カメラの位置的に逆だなと思ったら「ササササササ」に切り替えましょう。

 

「こっちのカタカナの方が強いんじゃないの?」というご意見があればお聞かせ下さい。

俺より強いカタカナに会いに行く。

夫と私の食べ物の好き嫌いの話

夫は好き嫌いがないらしい。「カブトムシの幼虫とかそういう、食べ物じゃないものは嫌だけど、食べ物なら何でも好き」らしい。
そう言う割にはサバとか生臭いものをあまり好んでいないようだが、嫌いではないのだろう。そういうことにしておこう。

私は好き嫌いがある。苦手な食べ物はけっこう多い。前に何回か言ってるけど、レバーが一番苦手で、次に貝類とウニとナマコ・ホヤ系、その次はカニと生エビ、その次は酸っぱくて温かいもの……と続く。

夫は私を偏食だと言う。
私自身は、苦手な食べ物が多いけど、偏食というほどではないと思っている。食べられないものより食べられるものの方が多いからだ。あれもダメこれもダメではなく、「こっからここまでがダメ」「その他のものは何でも食べられる」という領域があるからだ。

でも、考えてみたら、私、好きなものしか食べたくないな。栄養バランスを考えたら色々食べた方がいいのはわかってるけど、本当は肉と小麦と米しか食べたくない。

 

これら色々を、図にしてみました。


おそらくだけど、夫が「好き」って言ってる領域と、私が「食べられる」って言ってる領域が、同じなのではないかと思う。
夫の「好き嫌いがない」というのは、嫌いなものがない代わりに特に好きなものもあんまりない状態なのではないか。

だとしたら、「はっきりと好きなものがある」私の方が、食に関しては幸せなんじゃね?好きなものを食べると幸せだし。

 

ちなみに、私は自分を偏食だとは思っていない。
だって、偏食の人ってこういう感じでしょ?

私のイメージが間違ってたらすみません。
偏食の人にだって個人差はあるし、グラデーションのパターンも色々でしょう。「好きなもの」以外は全部「食べられないもの」だという人がいるかもしれないし、「食べられないもの」の領域がもっと狭い人・もっと広い人だっているでしょう。

何でも美味しく食べられるのが一般の理想だけど、人によって体があんまり受け付けてくれない食べ物があるということは、その人にとってその食べ物が合っていないということでしょう。

一般論は、もちろん多くの人に当てはまるから一般論なんだけど、人間ひとりひとりはみんな違うから、逆に一般論がぴったり当てはまらない人の方が多いんじゃないのかな。
最近、そう思っています。

自分は自分。自分だけの自分。

新年会を断った話

今月予定されていたお客様との新年会を、辞退した。

だってコロナ怖いじゃん。

ニュースではぜんぜんやってないけど、今現在、過去最高レベルで死亡者数が多くなってるのに。
そんな中、私の住む田舎よりも人口の多いところに行って、普段接してない人と飲み会なんかして、私が倒れて家族(特に子ども)が倒れたら嫌じゃん。娘は12歳になったからオミクロン株対応ワクチンを1回打てたけど、息子7歳はまだ従来株のしか打ててないんだから。

気にしすぎとか思ってもらっても構わないですよ。

私も夫も子どもたちも、勤務先なり学校なり行って、しっかりマスクを着用した上で他人と接してますよ。休みの日には家族で外食なんかも行きますよ。最近、息子を2泊3日の空手の合宿に行かせましたよ。
でも、飲み会は事情が違うじゃないですか。どうしたってマスクを外してる時間が長くなるだろうし、気持ち良くなっていっぱい喋るから。むしろ、喋らないと意味ないから。

上司に言って、今回は不参加とさせて頂きました。
気にしすぎかもしれないけど、自分と家族の、命と健康を守る行動をしたいのです。


あと、太ったせいでスーツが着られなくなったかもしれない問題もあって、「断れなかったらどうしよう」と思ってました。

正月太りのせいかと思うでしょ。ところが私、正月休み、逆に体重減ってたんですよ。

理由その1 「夜遅くまで飲み食いしなかったから」。
 正月休みって、夕飯 兼 酒飲み みたいな感じで、お惣菜とかをつまみながら夕方からダラダラ飲んで、日付が変わる前に寝る、みたいな生活をするんです。
 休み期間じゃない平日は、仕事が終わって子どもたちが寝て、それからヒャッハーしちゃうんです。俗にいう「リベンジ夜更かし」を、酒&高カロリーな食べ物と共に、やってしまうんです。夫が単身赴任中なので、歯止めが効きません。来期からは歯止めが効く予定なので、尚更、今を楽しみたい気持ちがはたらいています。
 正月休みの方が、普段より健康的な生活をしていました。

理由その2 「ロキソプロフェン」。
 昨年12月、首~肩~腕が痛いなあ、肩こりが全然治らないなあと思って整形外科に行ったところ、頸椎椎間板ヘルニアでした。加齢とか姿勢のせいでなるみたい。
 そんで飲み薬と張り薬との両方でロキソプロフェンが処方されました。いわゆるロキソニンです。
 この治療を始めてから、いつも通りの生活をしていたのに、体重がガンガン増えました。通常時+3kgくらい。
 おかしいなと思って調べてみたら、ロキソプロフェンの副作用に「むくみ(浮腫)」があるんですね。脛のところを指で押してみたら、凹みがついて戻らないくらいにむくんでました。こんなむくみは妊娠時以来だぜ。薬のせいでないと説明がつかないレベル。
 痛みがだいぶ治まって薬をのみ終わったのが年末。それから正月休み中に、体重は元の水準に戻りました。
 3kgの水分が体に溜まってるって、なかなかの異常事態なのでは。

 

尚、今朝試してみたところ、スーツは無事着ることができました。

私が新年会を断ったのは、コロナ感染が怖いからです。
太ったせいでスーツを着られなくなったからではありません。決して。

 

言い訳は立った。